TEAMラゲシマの小説 「不器用な男達」

小説/ショートショート

登場人物

・後藤(ごとう)
・健二(けんじ)
・CA(シーエー)
・新美(にいみ)
・永谷(ながや)
・川野(かわの)
・森(もり)
・神谷(かみや)

 

 

白を基調としたインテリアに響く目覚まし時計の音で目が覚める。

音は部屋の壁に当たり反響を生み出していた。

無駄に広いベッドから降り、顔を洗う。ほとんど空っぽの冷蔵庫の中から冷えたおにぎりを食べたあと、車で出社する。これが僕の低迷した毎朝だ。

いつも寝るときは嫌な気持ちが心につきまとう。

朝になっても見える景色はいつも同じで、時の経過を認識できないことに恐怖を覚えているからだ。

今日もそうだった。

 

会社ではゼロから九までの数字を並び替えるだけの仕事をしている。

毎日がつまらないというわけではないが、興味を惹かれることが何も無い。社員たちと飲みに行っても、いつも心の外壁だけが笑うだけで、中には何も入ってこない。

そしてこういう事しか考えられなくなっていた。

空虚だ。

 

この前、女性社員から食事の誘いを受けた。正直言って嬉しかった。

しかし支払いの際に彼女は財布から現金を出す仕草をしていたが、中にはほとんど入っていなかった。

それを見て僕は落ち込みつつ、怒りを感じ、そして情けなさを感じた。

自分に興味を持ってくれたのではなく、お金に興味を持たれたのだ。それから彼女とは一言も喋っていない。今どこで何をしているのかは、わかるわけがない。

 

無駄なことは何もせず機械のように仕事をしていたら、いつのまにか階級と給料が上がっていた。

お金なんて使うものがない僕にとっては、うわべだけの友好関係を固める補強材に過ぎない。
何か趣味があるわけでもなく、贅沢をすることもない。

むしろ周りからの視線を考えると、環境は以前より悪くなっている。

 

八時頃には、いつも仕事を終わらせて帰る。

「おつかれ新美。じゃあ僕はこれで帰るから。」
「あ、お疲れ様でした。後藤先輩仕事終わらせるの早いですね!」

彼は笑っていたが心の中ではどんなことを思っていたのだろう。
あのセリフはどんな意味だったんだろう。疲れるな。

エレベーターでマンションの十七階まで登りカードキーを使う。

玄関を開けると一瞬真っ暗な世界が広がっていたが、センサーが家主を感知して白いインテリアを照明で照らす。
僕は黒から白のギャップで家に帰ってきたことを認識する。

 

生きていると腹が減る。
カップラーメンを棚から取り出し、熱いお湯を注いだ。
完成までの時間は何をする?
精神が崩壊しそうな夜に蓋の隙間から漏れる蒸気を見つめて過ごす。
生から死へ進んでいる僕とは逆に、能動的にお湯を吸い込み返り咲く麺達。
栄養成分表示の塩分のところを見ると食事が生きるためか死ぬためかわからなくなる。
完成を待つまでの時間はいつも一人だ。
カウントダウン。

 

こんな生活ではいけないことは自分でもよく分かってる。早くなんとかしないと本当に精神が狂ってしまうだろう。

心に何かを注がないといけない。

環境を変えると心境が変わると前にテレビでやっていた。

明日は電車で通勤してみようかな。

 

「あ、後藤さん、おはようございます。どうしたんですか? 顔色悪いですよ。」

地獄だった。

男達が鯖寿司のような臭いを発しながら、鯖寿司のように詰め込まれる電車の中で数十分間揺られるのはもう二度と味わいたくない。

男しかいなかった。

 

だが車が手元にないので帰りも電車に乗ることは確定だ。送ってくれるような友人もいない。

帰りは多少人が少なくなると思ったが、相変わらずマカオのような人口密度だった。

あまりにも苦痛だったので降りる駅よりもすこし手前で降りた。

あれに乗っているものたちは毎日ああなのか。すごいな。

 

普段降りることのない駅からの帰り道は新鮮だ。

見たこともない店、聞いたことのない音楽、新しさがほとんどない今の僕にとってはいい刺激が多い。

僅かながら心がきらめいた。

昔からこういうのが好きだった。自分の知らないことは肯定的にとらえる性格だった。会社勤めを始めてからはそのことを忘れていた。

 

しばらく歩いていると、あるものを見つけた。

目を惹く物が散りばめられた夜道の中で一際巨大な驚きを宿す対象を見つけた僕は、それまでの刺激をいともたやすくチリと化してしまう。

「健ちゃん……?」

 

あの日はやけに幸せそうな笑い声が、僕の中の喜びと緊張の比率を変えていった。

撮りたくない写真を何枚も撮られた後、母親は他の母親と談笑をしている。

孤独に不安を感じていると気付いていない親の姿に、悔しさを感じた。

座席表と机の上の名札を確認して、自分の席に座る。

周りにはおそらくさっき拾ってきたであろう桜の花びらを見せ合っている女の子がグループを作って笑っていた。

ほとんどの人は僕と同じように一人だったが、中には彼女らのように仲間たちで話している人もいた。

「ねぇねぇ。」
後ろの席から声がする。
「ねぇねぇ。」

肩を触られながら声がしたので、対象が自分だと気付く。

「何?」
「僕、健二って言うんだけど、友達になろうよ。」

これが僕と健ちゃんの初めての会話だ。六歳の春。あたたかな日差しがさしていた。

 

 

「コーヒーとショートケーキください。それから…」

「僕はメロンソーダとチョコケーキで」

健ちゃんは小学校の時の一番の親友だ。

リーダー的存在でみんなから慕われていたし、僕も大好きだった。

中学で離ればなれになってから一度も会っていなかったがまさかこんなところで会うなんて。

 

「あんなところで会うなんて奇遇だな。」

「ほんとだよね。もう十数年ぶりかな。小学校以来だよね。」

「ほんと懐かしいな。てか毎週おれあそこにいるのに会ったのは初めてだよな?」

「ちょうど今日はいつもとは違う帰り方をしてて、それで出会ったってわけ。」

「いつもとは違う帰り方ってなんだよ。てかいま後藤何やってんの?」

何をやってるの?

「何にもやってないよ。普通に会社員として会社の歯車として生きてるだけさ。健ちゃんこそ何やってるの?」

「え? 俺はあれだよ。ミュージシャンだよ。」

「ミュージシャン?」

「地下ライブで演奏したり、路上ライブもたまにしたりね。一応ロンドスタジオっていう事務所にも入ってるんだぜ。まだバイトしながらの生活だけど。」

「ロンドスタジオって聞いたことあるよ。確かアイドルとかも所属してたよね。」

僕は健ちゃんが出会った時から持っている(いまは喫茶店のテーブルの下にある)ギターを体を傾けて覗いた。

「あの時ちょうど路上ライブの帰りでさ。」

「すごいね。」

「いや、何もすごく無いさ。もう何年もやってるのにデビューできなくてさ。まったく、世間は俺の才能を見る目が無いよ!ははっ。」

 

いや、すごいよ。

 

それから僕たちは店員のうるさいから早く帰れという視線を浴びながら二時間ほど話した。

久しぶりに会ったのにもかかわらず、楽しく喋ることができた。

健ちゃんは自分の夢が明確で、それに向かって無我夢中で走っている。

僕とは全然違う姿に憧れを覚えたし、健ちゃんと喋っていると、とても楽しかった。

僕たちは連絡先を交換して別れた。

「またな。」「またね。」

 

 

響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音響音

 

いつも通り拳を振り下ろして止める。

 

今日の夜、健ちゃんが家に来てギターを弾いてくれる。昨日のファミレスでそう約束したことを起きて思い出した。

今日の朝は僅かに低迷から抜け出せた。

仕事中は珍しく時間がたつのが長く感じた。

 

マンションの下のコンビニで待ち合わせをしている。

「あ、健ちゃん。」

「おう。昨日ぶり。」

「なんだよそれ。僕の家ここのマンションなんだ。ついてきてよ。」

「まじで? ここ住んでんの。おいおいやるな〜!」

 

十七階まで上がっていくエレベーターの中で僕たちは簡単な話をしたが、途中で知らないおばさんが入ってくると二人は黙った。

 

「ここだよ。なんか恥ずかしいな。」

「俺もちょっと緊張する。へへ。お邪魔しまーす。 うお。スッゲー。おい!窓から海見えんじゃん!お前いい暮らししてんなぁー!」

「無駄に広いだけだよ。」

「無駄に広くするなよ!」

「…。」

 

僕と健ちゃんは、しばらく昔の事を喋った。

小学生の頃に親友になった僕達は中学校が別々になるまでいつも一緒にいた。

その頃から健ちゃんはみんなのリーダー的存在でかっこよかった。

「冷蔵庫開けていい?」

「いいよ」

「うわ。ビールめっちゃ入ってるじゃん。しかもいろんな銘柄。」

「飲んでいいよ。」

 

少し酔いが回ってきたあたりで、健ちゃんはこういった。

「じゃあそろそろギター弾くか?」

「あ、うん。もちろん。そのために来てもらったんだから。」

「よし。やるか。ちょっと待ってな。」

 

親指と人差し指の長い爪で弦を細かくはじきながら音の確認をした後、いよいよそれが始まろうとしている。

爪にはネイルがされており、白い照明を反射していた。

「じゃあいくぞ。」

「うん。」

 

 

 

(………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………!)

 

 

 

 

「……!」

 

 

 

なんだろうこの感情。とても懐かしい。自分の大好きな曲を初めて聴いたかのようなこの気持ち。

美しかった。

 

「すごいよかったよ。本当に。」

「いやあ、まだまだだよ。でもありがとう。ギター弾くとさ、なんか別の世界に行けるっていうか。新しい自分に出会える感じがするんだよ。おれはそのために弾いてるのかもな。」

それから健ちゃんは毎週のように僕の家に来てくれた。

お互い気を使わずにいれるし話も面白い。ギターも弾いてくれるし、何より以前の何もない生活が嘘のように楽しく毎日を過ごしている。

健ちゃんがいてくれるおかげで心が久しぶりに呼吸をしだした。

健ちゃんは僕にとって救世主だったのかもしれない。

 

 

気付けば近くの公園に生えている花の種類が変わっていた。

 

 

「これチューリップだよ。」

「へぇー。よく知ってるね。」

「球根っていうのから生えてるんだよ。」

「キューコン?」

「幼稚園の先生が教えてくれた。」

「なんでも知ってるね。」

「知ってることなんでも教えるよ。」

この時僕は、幼稚園の時にチューリップの歌を歌ったことを思い出したが、チューリップのことを今初めて知ったフリをした。

昔からこうだった。

 

翌日、花壇に咲いているはずのチューリップが全てなくなっていた。

正確には茎が途中から切られていたので、茎の途中と葉っぱは残っていた。

どうやら、誰かがハサミで全部切ってしまったらしい。

とても悲しかった。

しかし、目に涙を浮かべていたのは健ちゃんだった。

顔が赤くなり、一粒の水が花壇に落ちた。

僕は何をすればいいのかわからなかった。

 

 

「おっす。また来たぞ。」

「ごめん。今日は僕の家無理なんだ。というかこの先ずっと無理かも。」

「え、なんで?」

「大家さんにうるさいって言われちゃって…。ごめん。」

「あー、そうか。…じゃあ別のところ行こう。」

「え? 別のところ?」

「例えば海とか。」

「この時間から?いま夜の九時だよ。」

「まだ夜の九時だよ。いいじゃん。なんか夜の海って雰囲気あるしさ。後藤は見た事ないだろ夜の海。」

「そうか。…そうだね。じゃあ行くよ。面白そうだし。ちょっと待ってて。」

「下のコンビニで適当になんか買ってるわ。」

 

僕達は車で海の近くの公園に向かうことにした。

車内ではさっき買った、期間限定の桃の乳酸菌飲料を飲んだ。飲み口が広く、勢いよく流れてきたので少し服についてしまった。

 

どうせなら砂浜に行こうと健ちゃんが言うので、ギターをもって砂浜に行く。

「ささ、寒いな。」

「四月だけど寒いね。」

砂浜には糸くずやペットボトルといったゴミが落ちていたが、海はきれいだった。

夜だったのであまり見えなかったが、匂いがあまりしなかったため綺麗だと感じた。

 

 

堤防の裏の砂浜に腰をかける。砂に足が沈んで歩きづらい。そこでいつも平らなところしか歩いていないことに気付いた。

 

今日もいつも通り健ちゃんのメジャーデビューの夢や、音楽の事、あるいは全然音楽と関係のない事を話す。

 

例えば、

 

「後藤ってさ彼女とかいるの?」

「いや、いないよ。」

「だろうな。いたら毎週俺となんか会わないもんな。」

「てことは健ちゃんもいないんだね。」

「まあな。 ……好きな人はいるのか?」

「いや、ちょっと前まで仕事だけの人生だったし、高校の時に恋愛のことでちょっとトラウマがあって。女の人は苦手かな。」

「そうか。」

「うん。」

「…。」

「…。」

「おい。」

「え?」

「好きな人はいるのかって聞いたってことは、好きな人はいるのかって聞いて欲しいってことだろ。」

「は。え、あ。健ちゃんって好きな人いるの?」

「いる!」

「…。あっ。 だ、だれ?」

「あそこに空港あるだろ。宝島空港。あそこで働いてるCAさんだよ。だけどまだ一言も喋ったことないんだ。フードコートから眺めてるだけでさ。」

「ストーカーみたいだね。」

「ちげえよ。でさ、後藤に頼みがあるんだけどさ。CAさんと俺の恋を手助けしてくれない?」

「は?無理だよ!女の人の事なんてわかんないし。」

「俺だってわかんねえよ。どうすれば何のつながりもない人と付き合えるんだよ。頼むよ。お前しか頼める人いないんだ。」

「頼むって言われても、どうしようもないでしょ。何か話しかけてみたら?」

「でも仕事中に話しかけるって、完全にヤバい奴じゃん。」

「でもそれしかないんじゃない?」

「うーん」

 

僕は過去にお付き合いさせていただいた方との、最初のつながりを思い出そうとした。しかし、誰一人思い出せなかったので、参考にはならないと思い口は開かなかった。

 

「じゃ頼んだ!よし帰るぞ!俺だって恥ずかしいし勇気を出してお願いしてんだから!約束な!」

「えぇ〜。」

 

翌日。通勤中の車の中で昨日の約束とは言えない約束をどうやって解決しようか考えてみた。

会社で数少ない喋れる後輩の新美に相談してみようかな。

あいつ彼女いるのかな?それとも財布の中身が空っぽだったあの人かな。

連絡先は知ってるけどいきなり恋愛のことを相談したら気持ち悪がられるよな。

結局僕は新美に相談することにした。

 

会社につくといつも通り隣のデスクに新美が座っている。右でも前でも後ろでもない。

新美のデスク周りは本が高く積み重なっており、城壁のように外からの視界を遮っていた。

まさしく新美は難攻不落だ。

世渡りがうまく、さぼりもうまい。上司には好かれており、よくおごってもらうそうだ。嘘をつくのに何もためらいが無く、表情を作るのがうまい。

後から来た話だが、高校の時は演劇部の部長をしていたそうだ。

 

そんな彼は、僕には媚びた態度はしない。

そのことに優越感を覚えている僕は、すでに手のひらの上なのかもしれない。それも悪くない。と思わせる才能が新美にはあった。

 

「新美。ちょっと相談したいことがあるんだけどさ。」

「あ。はい。何ですか後藤さん。」

「恋人ってどうやって作るのかな。」

「は?」

「いやごめん。いや、うん。詳しく聞かないで。」

「あー。はい。わかりました。後藤さんもそういうこと言うんですね。安心しました。じゃあこの本読んでみてくださいよ。恋愛のこととか女の人の気持ちとか書いてあってためになりますよ。」

「あ、ありがとう。……新美これいつも持ってんの?」

「モテたいですから。」

僕は少し落胆した。

 

その本が役に立つかはわからないが、健ちゃんに渡すことにした。おそらく健ちゃんは読まないだろう。

 

はっきり言って僕とCAさんは接点が何もない。けんちゃんもそうだ。

この状態で恋愛関係に発展することは可能なのか。

 

読んでから渡せばよかった。

 

 

 

 

会社に新入社員が働いてもう数か月になる。

教育係は僕と、永谷(ながや)だった。

といっても僕は永谷が困った時のお助け役で、頻繁にアドバイスをすることはない。

 

今年はいった新入社員は二人だ。

二人を見て一番最初に思ったことが「男と女」だった。我ながら気持ち悪かった。

永谷は普段は良くしゃべるのだが、教育係になったら高圧的で無口になる。世界一教育係に向いていない。永谷の教育係が必要だ。

 

この時、ふとこんなことを思った。なぜ僕も教育係に抜擢されたのかと。

今まで一度もやったことがなかったし、別にそういうことを得意としていたわけでもない。

もしかして僕か?

 

なぜ僕も教育係に選ばれたのかがようやくわかった気がする。これは教育係という名の、僕自身の教育プログラムだった。

つまり、世界一教育係に向いていない永谷を教育することが僕の務めだと思ったのだ。

自分が教育プログラムに入っている、という事ではなく永谷と同時に入っていることに悔しさを感じた。

 

会社で働くと何かと理不尽なことに振り回されることがある。そんな時はただ何も考えず流れに身を任せれば、大抵のことは過ぎ去っていく。

しかし、このことに関しては、少し感情的になってしまった。

これは健ちゃんの影響でもある。そして自分の精神が変わっていると気付いた興奮もまた、暴走機関車を走らせる石炭になっていた。

 

僕は積極的に新入社員の二人を育て上げた。といっても自分ができることしか教えてやれなかったが、それでも永谷よりはずいぶんとマシだった。

「後藤さん!あんまり部下を育てないでくださいよ。僕が無能だってばれるじゃないですか!」

新美は笑っていたが、あれは余裕の笑みだった。

 

永谷はしばらくして、パワハラで呼び出されていた。確かに態度は高圧的だったが、パワハラとして指導されるとは思わなかった。

結構こっぴどく怒られたのか、その日は一日中落ち込んでいた。

しかし、特に処分などはなかったらしい。そのことを新美に言ったら、

「もう少し泳がせておくべくだったか。」

と言った。

 

珍しく新美にしては口が滑ったなと思ったが、これ以上聞くのはやめにした。

 

数ヶ月後

ここ最近は台風が多い。雨が轟音を鳴らしている。

道路の脇に植えられた木は、今にも根元から折れそうなほど曲がっている。

 

健ちゃんからバイト先に車で迎えに来てほしいと頼まれ、商店街の隅っこにあるライブハウスに向かった。

雨の音を聞きながら待つのは嫌いではない。

十分ほど待つと大勢の人が雨に怯えながらぞろぞろと出てきて、その数分後に健ちゃんが一人で出てきた。

 

「悪い。ありがとう。助かるよ。」

「全然大丈夫だよ。」

「雨すごいな。台風何号だこれ?」

「知らない。」

「とりあえず駅前行ってくれるか?」

「オッケー。…健ちゃんってこのライブハウスででバイトしてるんだね。演奏してたの?」

「え、あぁうん。…いや、してない。俺はここで照明のバイトしてるだけ。」

「へーそうなんだ。」

「そう。」

「……。」

しばらくは雨の音しか聞こえなかった。

 

駅前に着くまでの数分間は、フロントガラスに雨水が横から叩きつけられる音と、一定のリズムで動くワイパーの音だけだ。

「着いたよ。ここからどうすれば健ちゃんの家なの?」

「……。」

「ねえ。」

「……あの時の雨みたいだ。」

「え?」

「あのさ後藤。前に空港のCAさんが好きだって話したじゃん。」

「した。」

「俺彼女出来た。」

 

僕は一瞬心臓が止まり、その間は脳が機能をはたさなかった。

そしてじわじわと血液が流れ出して体温を取り戻した時、こいつはどんなタイミングで言ってるんだと思った。

「わかりやすく説明して。」

「実は、CAさんと付き合うことになったんだ。」

「え!」

「ほら、CAさんのこと話した時に後藤に頼み事したじゃん。でももう付き合えたから、その頼みはもう大丈夫になったから。っていう報告を。ね。したくて。したかったから。あと前に借りてた本も返すよ。」

「急だね。」

「ま、まあそういうことだから。」

「僕、人から恋人ができたっていう報告されたことないから、どんな顔していいかわからないや。」

「とりあえず笑えばいいんじゃね?」

「☺️」

 

それから僕は健ちゃんとCAさんとの出会いを聞いた。

少し野暮かも知れないけど、知っておきたかった。

 

健ちゃんがあの時のことを話し始める。

 

 

 

話を聞いていくうちに自分の脳内に話から構築される景色が映し出される。

脳内の景色が実際に見ている景色に少しずつ融合していき、侵食する。

話を聞いているうちに雨の音は弱くなり、駅前に止まっている僕の車は徐々に存在がなくなっていく。

車も僕も存在が少しずつ消えていき、景色に残っているのは雨の中で空中に座る健ちゃんだけ。

雨はぽつぽつと降る程度になった。

気付くと健ちゃんは服が変わり、時間が変わり、空間が変わる。

健ちゃんはどこかに歩き始めた。僕は後ろからついていく。

しかし実体はない。僕の精神だけが話から構築された世界に入ることができるだけで、何もすることができない。

世界はどんどん未来へ進んでいく。

 

 

 

 

 

(今日はここら辺でやるか…。)

機材を地面に置き、ギターの準備をする。路上ライブの準備はすぐに終わった。

(今日は雨が少し降ってるから人通りが少ないな。でもやらないと。)

いつも通り、自分で作った曲やカバー曲をギターを弾きながら歌う。

路上ライブをしてる人を一人でまじまじと見る人は少ない。

誰かが既にそこにいないと、見る気も起きない。子供は五秒だけ立ち止まってくれるが、それが逆にきつい。

(今日は誰も立ち止まってくれないな)

次第に雨は強くなっていき、傘を持っていなかったので帰ることができなくなった。

しょうがないので雨が上がるまで商店街の軒下で雨宿りをしながら、ギターの練習をした。ギターと雨が相殺している。

 

「うわー。すごい雨。」

 

突然隣の方から女性の声が聞こえた。

地下にあるCDショップからちょうど出てきたようでずいぶん長い間中にいたのか、外が土砂降りなことに驚いている。もちろん傘は持っていない。

その女性は、隣にギターを演奏している怪しい男がいることに気付くと、こちらに顔を向けて笑いをしながら会釈した。

その顔はCAさんそのものだった。

 

まさかこんな時にこんなところで会うなんて。

しかも今、CAさんは雰囲気のあるCDショップから出てきた。今時CDを買うなんて、もしかして俺と同じように音楽が好きなのかも。そんな淡い期待がたぎる。

だがそんな気持ちは受け止められず、CAさんは雨の中を帰る気だった。

軒下から肩を出して空を見上げている。すらっとした体が縦に伸び、少しドキドキした。

少し外に体を出しすぎたのか雨に濡れる服は体にぴったりと張り付き、体のラインが透けていた。

ビニール袋も透けていた。

 

 

「あ、それ○○の○○…。」

思わず声が出た。

「え…?知ってるんですか?」

caさんは少し嬉しそうに聞き返してきた。

「え、あ、はい。○○の○○ですよね。」

「そうです!この曲最高ですよね!…あ。すいません…。」

「いえ、大丈夫ですよ。ほんとに最高ですよねその曲。俺音楽やってるんでそういうの詳しいんです。」

「あ、ギタリスト…?」

俺の後ろに置いてあるギターを見てそう言った。

「ギタリストってわけでは無いですけどね。」

「へーすごいなあ。この曲も弾けたりするんですか?」

caさんは純粋にcdを見せながら俺に聞いてきた。

「え、練習してないから無理かな…。」

「あ、そう…ですか。」

「で、でも俺練習してきますよ。明日またこの時間にこの場所に来てください…!俺ここで演奏してますから…!」

 

自分でも驚いた。caさんを前にして、高ぶった自分の気持ちがもう一度会いたいと強く命令してきたのだ。

 

「え。はい。わかりました。じゃあ私もうそろそろ帰りますね。時間がなくて…。」

「この雨の中帰るんですか?」

「はい。今日は父の誕生日なのでもうすぐ帰らなきゃいけないんです。」
「わかりました。すいませんでした変に話しかけちゃって。じゃあ、また。」

「はい。じゃあ、また。……。……ギター雨に濡れてますよ?」

「あ!!」

ギターが雨に殺された。

 

俺は一日で完璧に仕上げてきた。もうすぐで昨日CAさんと約束した時間だ。

本当に来てくれるかな。

同じ場所で昨日のようにギターを弾き始める。

曲はもちろんCAさんが昨日言っていた曲。昨日と違って今日はとても晴れている。

徐々に音楽に熱が入り、人が集まってきた。しかしCAさんの姿はない。

もうすっかり辺りが暗くなり、周りに人もいなくなった。

 

(やっぱりこないか…。)

 

演奏をやめた。…ッ…ッ

ギターをギターケースにしまう…ツ…ツ

ギターケースを持って帰ろうとす…コツ…コツ…!

 

コツ…!コツ…!コツ…!コツ…!

 

硬い靴が商店街の舗装された地面を走る音が聞こえる。

呼ばれるように音の方を振り返るとそこにはcaさんが走っていた。

「はぁ…はぁ…すいません…。仕事でちょっと遅れちゃって。はぁ…。あ、でも今帰ろうとしましたよね!ふふ…!」

「え、あ、だって。こない…。いや。来てくれてありがとうございます。CAさん」

「…! ……今からでも演奏してくれますか?」

「もちろん。」

俺は弾いた。今までで一番よく演奏できた。それは技術的なことだけではなく、精神的にもだ。

「…すごい。素敵です…!」

 

それからCAさんは定期的に俺の演奏を聴いてくれるようになった。

路上ライブだけではなくライブハウスでの演奏も来てくれた。

とても嬉しかった。何回か会ううちに連絡先を交換して二人で遊びに行くこともあった。

何回か遊んだ後、俺は運命の言葉を伝えた。

 

「ねぇ。健ちゃんって好きな人いるの?」
「は?いないよ。」
「そうなんだ。僕いるよ。」
「え!だれ?」
「一組の子。」
「いやだから誰だって!」
「言わないよ。だって健ちゃん言いふらすでしょ。」
「言わないよ!俺が一度だって口を滑らせたときがあったか?」
「二年生の遠足の時にお菓子代をオーバーしたこと話したでしょ。」
「いやあれは!…すまなかったって!わかったよ。じゃあ言わなくていいよ。だったら最初から好きな人がいるとか言うんじゃないよ。」

僕はなぜこの時こんなことを言ったのか、いまでもわからない。きっとわかったとしても、どうでもいい理由だろう。

 

「おい?大丈夫か後藤?」

ハッ!っと現実世界に呼び戻される。いつからか世界の時間軸が変わっていたことに、違和感を覚えた。

「ああ。うん。大丈夫。そんなことがあったんだね。」

「そんなことでまとめるなよ。」

「いいじゃん。まあとにかく、幸せ?」

ガチャ。「……へへ。じゃあな。送ってくれてありがとよ。」バタン。

「あ…。行っちゃった。」

ガチャ。「わりい傘貸してくんね?」

 

 

 

暗闇が一瞬で照らされ白に変わる。最近は暑さも落ち着いてきた。

ラインには何も通知が来てない。もうずっとだ。健ちゃんからもずっとなにも全くない。どうしたんだろう。

あの雨の日いらい全く会っていない。

今までCAさんと会う機会が増えてるから連絡も少なくなっている思っていたが、こうも連絡がないと落ち着かない。

『久しぶり。最近ずっと会ってないけど元気?CAさんとうまくいってる?』
未読だ。

 

翌日、車のキーを無くした。

遅刻しそうだったので電車で通勤するしかなかった。しばらくの間押し寿司は食べれそうにない。

 

 

会社からの帰り道、携帯が細やかな振動で電子的な意思を太ももに伝えた。

 

 

『海これる?』

 

 

「あ、いた。どうしたのこんな時間に。久しぶりだし。なんかあった?」

「…。」

「…。」

「俺さ、CAと付き合い始めてから気付いたよ。人生舐めすぎだって。」

「え…?」

「最近ずっとCAのマンションで生活してたんだ。ほぼ同棲みたいな。」

「…。」

「朝になるとさ、CA働きに行くんだよ。俺は午後からのバイトまで何もしないんだ。ずっとボーッとしてるだけで何もしない。バイトがない日は一日中テレビ見て終わるよ。…こんなことじゃいけないってわかってるんだけど、現実を見るのが怖かった。常に焦りも劣等感も感じてたけど、何もできなかった。」

「…。」

「それでこのままじゃダメだって。どうしようもない気持ちになって。自分を変えたくて。でも自分にはどうしようもできないから…。後藤に連絡したんだ…。俺どうすればいいかな…。」

「…。」

「…。」

 

「…やめたら?」

「え?」

「ギターなんかやめて就職したら?」

「……。いや…。それは…。無理だ。」

「…なんで?」

「……。こんなこと話すの初めてだけどさ…。数年前、友達と一緒にバンド組んでたんだよ。そのうちの一人がさ、演奏中に死んだんだよ。」

「えっ。」

「大動脈乖離っていうので心臓の血管がちぎれたんだ。激痛のはずなのにそいつは演奏やめなかった。死にながら演奏してたんだ。そいつのことを思い出すと絶対に夢を諦めちゃいけないと思ってるんだ。だからやめるわけにはいかない。やめることはできないって。死んだあいつの夢も叶えてやるんだって。」

「そんなことがあったんだ…。ごめん。ひどいこと言って。」

「いや、いいよ。むしろありがとう。夢を思い出させてくれて。…俺、もっと頑張るよ。本気で夢を叶えてくる。甘えてた人生はここで終わりにする。」

「そっか。」

「目標が決まった。もうちょっと頑張ってみるよ。」

「……。」

「一つ頼みごといいかな?」

「何?」

「俺のスマホしばらく預かっててくれないかな?ギターだけに集中したいから。スマホがあったらつい余計なことしちゃうだろ?」

「…。わかったよ…。」

僕は健ちゃんのスマホをしばらく預かることにした。

 

 

 

 

 

パキッ

 

 

 

 

 

…?  なんの音だ?

 

ふと健ちゃんの左目の下を見ると、ヒビが生えていた。

皮膚がかけらとして地面にポロポロと落ちていく。

かけらがどんどん落ちていき、隙間が現れた。

隙間から見える向こう側には、闇が渦巻いている。

 

目が覚めるとそこはいつものように白にまみれた自分の部屋だ。対照的で目がくらくらする。

 

 

新入社員の名前をスムーズに思い出せるようになったのは、夏が終わりかけてきたときだった。

ヒグラシの鳴く声が懐かしく感じる。

徐々に毛穴から湧き出る汗の量が少なくなったことで、シャツが肌にべたつく嫌悪感も無くなった。

夏が終わる時期は、いろんなものが少なくなっていくのだと感じた。

ペットボトル専用ゴミ箱にやってくる、清掃員の人が変わってる。

 

今日はあの新入社員と飲みに行く。

新入社員の教育係という名目なので、仲良くなったのだ。

残念ながら女性のほうとは仲良くなれなかった。つまらない奴と思われているか、そもそも上司に興味が無いのか。どっちも同じようなことだ。

男のほうは僕が指導をしたおかげかどうかはわからないが、なかなか使えるやつになっていた。

 

二人で飲みに行くことはひさしぶりだ。

以前なら何も感じなかった飲みの場だが、最近は少しであるが楽しさもある。

 

「えーっと。川野(かわの)は最近どうなの?」

「うーん。ぼちぼちです。」

川野とは価値観が合った。無言を楽しめるヤツだった。

「そういえばこないだ、企画の神谷(かみや)さんに飲みに誘われたんですよ。」

「誰それ?」

 

「え!知らないんですか?あのやけに露出の高い赤い服を着てる人ですよ。結構有名じゃないですか?」

「あー。あの人ね。企画部だったんだ。」

財布の中が空っぽだった人だ。どうやら服を買うお金はあったようだ。安心した。

「でどうだったの?」

 

「穏便に断りました。しつこく誘ってきて大変でしたよ。」

「まあ川野は顔いいから好きになったんじゃないの?」

「顔は関係ないですよ。」

「そうか。関係ないのか。」

 

それから10分ほど無言が続いたが、悪い気は特にしなかった。

 

「後藤さんって何か趣味とかってあるんですか?」

「趣味?考えたことなかったな。」

「考えたことない?面接の時とかなんて言ったんですか?」

「いや、特に聞かれなかった。」

「すごいですね。何か作らないんですか?」

「そういう川野は何かやってるの?」

「僕は一応ギターやってますよ。」

ギター。健ちゃんと同じだ。いや健ちゃんは趣味でやっているのではない。

 

「ふーん。ギターねぇ。」

「結構安いですし、練習すればだれでも弾けるようになりますよ。どうですか?趣味としてギターは。」

 

音楽関係の趣味は持ちたくなかった。別に音楽が嫌いというわけではない。

以前と比べると最近の曲を聴くことも、街で流れる曲に耳を澄ますことも増えた。

でも、音楽だけは嫌だった。

後追いで肩を並べたくない。真剣にやっているからこそ音楽は嫌だ。

 

「それって趣味というより、特技なんじゃないの?」

「そうですかね。」

砂肝を注文した。

 

「森(もり)さんって最近どうなの?仕事とか。」

森とは女性の新入社員のことだ。

「森さんですか?なんでそんなこと聞くんですか?」

「いや、僕あんまり森さんのこと知らないし。一応教育係だから知っとこうかなって。」

「んー。別に特に何もないですよ。普通に仕事してますし、普通のOLって感じです。」

「普通のOLって言われても何も思い浮かばないんだけど。」

「ちゃんとしてるってことですよ。」

「そっか。ちゃんとしてるならそれでいいか。」

「はい。」

「なんか森さんってあんまり喋らないイメージあるからさ。」

「そうですか?二人きりの時とか結構喋りますよ?」

「二人きりの時とかあんの?」

「あ、まあはい。」

「…付き合ってるの?」

「…。いいえ。付き合ってないですよ。」

「…。わかったよ。」

新美の隣にいるせいか、嘘を見破るのがうまくなっていた。いや、川野は嘘が下手すぎた。

まさか川野と森さんが付き合っているとは思わなかった。いや、確定はできないが、川野が森さんのことが好きなのはほぼ間違いないだろう。

少し意外だった。

 

「大丈夫だよ。このことは誰にも言わないから。」

「ありがとうございます。」

ここでありがとうございますと言ってしまうぐらい、川野は優しい奴だ。

 

 

一ヶ月後

 

スーパーへ食料の買い出しに行こうと財布を尻ポケットに入れる。

涼しく天気が良かったから、今日は歩きで行くことにした。

学生のころ膝を手術したことがあり、そのせいで歩く機会が自然と減っている。

長時間歩くことができないからこそ、今日みたいな日は歩くことにしていた。

 

健ちゃんがバイトしているライブハウスがある商店街へ行く。

街灯の形がおしゃれだと初めて気づいた。

 

舗装された地面をコツコツと歩いていくと、前から女性が僕に目掛けて歩いてきた。

そのことに若干の恐怖と戸惑いを感じながらも、顔を下に向けながら歩いていく。

 

「…あのすいません。」

喋りかけてきた。

「あっ…はい。」

「後藤さん…ですよね。」

「は、はい。そうですけど。」

「あの、私、健二の彼女のCAと申します。」

「あ〜。」

そういえば顔を見たことがなかった。

「健二さんから話を聞いていて、後藤さんのことが分かったんですけど、いま、お時間よろしいですか?」

「あ〜。」

 

CAさんは僕に話を聞きたいと言ってきた。

時間がかかるかもしれないとのことで、しばらく喫茶店でお茶をすることになった。

CAさんは少し抜けているところがあるのかもしれない。魅力的な人だなと純粋に思った。

 

「とりあえず何か頼みましょうか。私はフルーツティーにしますけど後藤さんは何にしますか?」

「じゃあメロンソーダとチョコケーキで。」

「甘党ですね。」

「え?」

僕たちは注文を終えた。

 

「あの…早速本題なんですけど。」

「はい。」

「あの人は、健二は大丈夫なんでしょうか?ある時家に修行しますって置き手紙してから姿がないんです。何かあったら後藤さんに言ってくれって言うんですけど、連絡先も何も知らないし、スマホに連絡してもなんの返事もないんです。さっきそこで偶然後藤さんを見かけたので、今しか聞くタイミングがないと思って。健二は今何をしてるんですか?」

「何も聞いてないんですか?」

「はい。」

(はぁ…)

「あぁ。あの人は大丈夫ですよ。ギターの練習してるんだと思います。どこで何をやってるかはわかりませんが、きっと大丈夫です。一緒に応援しましょう。」

僕は健ちゃんの意思を丁寧に伝えた。わかってもらえないかもしれないけど、CAさんの心を動かしたかった。

もちろんバカげていると思ったが、でもそれがかっこいいと思った。

 

「練習って……。えぇ…。でも、わかりました。彼が本気になったんだから、私は信じて応援することにします。でもスマホぐらいは何か反応があってもいいですよね…。」

「はは。そうですよね。」

チョコケーキを食べるフォークがカチャカチャと皿に当たる音が響く。

 

しばらくして会話が終わった。話したいことは終わったようだ。

無言の中で先ほど頼んだものを急いで完食する。

CAさんはすでに飲み終わっている。

どこに視線をやればいいのかわからなかったので、CAさんのスマホを見ることにした。

CAさんのスマホカバーにはいろんなシールが貼ってあるな。

ハートや星などのマーク、名前がわからないキャラクターまで、それにお洒落なロゴマークのステッカーまで貼っている。旅人か。

英語が上下逆向きなので読みづらい。なんて書いてあるんだ?

Ro……n…do…?

 

「ロンド………?

………ロンドスタジオ…」

健ちゃんが所属している事務所だ。

「え?」

「あ、いや」

「このステッカーですか?父からもらったんです。」

「え、お父さんから…?」

健ちゃんから貰ったと思った。

 

「はい。なんか音楽事務所の仕事してるらしくて。私はあんまり詳しくないんですけど。最近父の影響からか音楽が好きになり始めて。で、これはその音楽事務所のステッカーです。昨日貼ったんですよ。」

「昨日貼ったんですか。」

「はい。最近ハマってるんです。音楽にハマったからこそ、健二さんとも出会えたので、本当人生って何が起きるかわからないですよね。」

 

CAさんは健ちゃんがロンドスタジオに所属している事を知ってるのだろうか。

僕は繋がりがあることによるメリットを考えたが、それらが全て夢物語だと気付くと、ただそれだけ。ただそれだけのことだ。と自分に言い聞かせた。

 

その後、健ちゃんのことが心配だからと、僕の連絡先を聞いてきたので、ラインを交換した。

喫茶店を後にした僕とCAさんは、それぞれ別の方向へ歩いていった。

 

 

 

最近、永谷の元気が無い。

表情は上の空だ。職場に来てはいるが仕事は特にしていない。またパワハラの件で何か言われたのだろうか。

「永谷、最近元気ないけど大丈夫か?」

「あ、後藤さん。だ、大丈夫です。はい。」

「そうか。でも、自分でも気付かないうちに消耗しないようにな。なんかあったら休むことも大事だから。」

「ありがとうございます。あ、そういえば新美からなんか聞いてないですか?デスク隣ですよね。」

「なんかって?」

「あ、何も聞いてないなら大丈夫です…。」

「…。そうか。」

 

なぜ新美の名前が出てきたのか、わからなかった。

 

 

数日後、永谷は会社に来なくなっていた。

デスクの上のカレンダーは倒れたままで、裏の犬の写真と目が合う。少しほこりがのっていた。

「最近、永谷見ないな。なんかあったのかな?」

「さあ…。」

 

数日後、会社の全社員にハラスメントについての訓示が行われた。

そして、永谷のデスクが片付けられていた。

「新美。何かやった?」

「え?何がですか?」

「いや、なんでもない。」

「え?」

どうすればいいのかわからないかった。

 

 

数ヶ月後

ピンポーン

 

「あ、久しぶりだね。まあ上がってよ。」

健ちゃんだ。

「おう。久しぶり。」

「そのコート似合ってるね。早く入りなよ。」

「いや、ここでいいよ。」

「あ…そう。今日はどうしたの?」

「あのさ、今日は、お別れを言いに来たんだ。」

「え?」

「ははっ、まあそんな顔すんなって。そこまで深刻な話じゃないからさ。実はさ、事務所の方から海外で活動してみないかって言われたんだ。」

「事務所ってロンドスタジオだよね。海外?え?」

訳がわからなかった。

「そう。俺もそろそろあとがない年だからさ、愚直にやらなきゃいけないんだよ。海外だと日本人は珍しいから多少は人気が出るだろうって言われたんだ。」

「でも健ちゃん英語喋れないでしょ?」

「それは事務所が現地でサポートしてくれるから問題ないってさ。」

「そこまでしなくてもいいんじゃない?別に日本でも十分夢を狙えると思うよ。」

 

「ありがとう。でも昔みたいに変なプライドは持てないんだ。売れるためなら何でも挑戦してみるんだよ。」

「CAさんには言ったの?」

「いや、それは現地に着いたら連絡しようと思ってる。言ったら止めちゃうだろ。CAの為にも絶対売れなきゃいけないから、行かなきゃいけないんだ。」

 

僕はいろんな事を想像した。

幸せとは何か、夢とは何か。

しかし、今の僕は昔とは違っていて、論理的な思考の優先度は高くなかった。

 

「そうなんだね…。わかったよ。うん…。僕応援するから。絶対に売れて戻ってきてね…。」

「ありがとう。後藤ならそう言ってくれると思ってたよ。あ、それから海外に行くのはこの日だから。」

健ちゃんはポケットから取り出した書類のようなものを広げて、指であるところを指した。

そこには健ちゃんが海外へ飛び立つ日にちが書いてあった。

 

「わかったよ。案外近いんだね。」

「いきなりになっちまってごめんな。」

「大丈夫だよ。あ、あと健ちゃんから預かってたスマホってどうする?」

「スマホは向こうで新しく契約するからいらないや。後藤にあげるよ。」

「え、あぁ。わかったよ。」

「じゃあそろそろ帰るわ。じゃあな。」

「まって!…あのさ、今日はやっぱり泊まっていかない?初めて僕の家に来たみたいに、何か弾いてってよ。最後に思い出作っておきたいし。」

「…そうだな。じゃあギター持ってくるよ。今日は一晩中演奏しような…。後藤…。」

 

 

「キャンプファイヤーって校長が火をつけるらしいよ。」

「校長大丈夫かな。燃えないかな。」

「燃えたらめっちゃ面白いね。」

「やめなよ。そんなこと言うの」

「後藤が言ったんだろ。」

「はいはい。」

キャンプファイヤーの周りに輪のように並ぶ。夕方になり、ヒグラシが鳴き、徐々に涼しくなっていた。

その後僕たちは、マイムマイムを踊った。女子と手をつなぐのは恥ずかしかったが、恥ずかしくないふりをした。

繋いでいる手のひらから、汗がにじみでる。涼しいはずなのに汗が止まらなかった。心臓の鼓動と曲のテンポがズレていき、足がうまく上がらない。

輪の向こう側には、女子と仲の良さそうな男子が恥ずかしがらずに踊っていた。隣の女子はかわいく笑っている。

僕は隣を見ることができなかったが、きっと笑っていなかっただろう。僕の隣になってしまって申し訳ないと思う。

 

マイムマイムが踊り終わると、僕たちは校舎に戻ることになった。

暗い森の中を歩くのは少し怖かったが、若干の楽しさもあった。

「なんかこういうのっていいよね。」

「わかる。非現実感あるよね。」

「これから先どれぐらいこういう気持ちになるんだろう。」

「んーわかんないけど、たくさん味わっていきたいね。」

「そうだね。」

僕はあれから一回も同じ経験をしたことがない。

 

 

今日は川野と一緒に飲みにいった。

川野はかなり酔っぱらっていた。というのも、森さんと別れたそうだ。

川野は泣いていた。

さらに詳しく聞いていると、森さんはすでに会社を辞めていたそうだ。

「もうやめたんだ。何かあったのかな?」

「知らんすわ。」

川野は喋り方がおかしくなったいた。

「なんか知らないすけど会社を辞めたんですって。理由言ってくれないすよ。はああああ。どーしてかなあ。はああ。」

結局僕は森さんとはほとんど会話をしないまま別れてしまった。

 

そのことを新美にいったら、無視された。

 

二週間後

いつも通り仕事をしていた。窓の外には白い息を吐く厚着をした人が歩いている。

静だ。

携帯が鳴る。CAさんから。

 

「はい。」

「あのすみません。健二ってどこにいるかしりませんか?」

「健ちゃんですか?いや、しりませんけど?どうかしたんですか?」

「あの、実は私の父は音楽事務所を経営してるんですけど、健二が海外に飛ばされそうだって聞いたんです!」

「え?ちょっと落ち着いてください。どうしたんですか?」

「私の父は実は、ロンドスタジオっていう音楽事務所の社長なんです。私はほとんど父の仕事のことは何も知らなかったんですけど、先日父の部屋の前を通り過ぎた時に『健二はどうする?』って聞こえて、それで父がいなくなってから部屋を調べたら健二が海外に飛ばされるかもって書類があったんです…。健二はどこにいるか知りませんか?」

「そんなことがあったんですね…。」

 

僕はすべてを話すことにした。

 

「健ちゃんはCAさんの為にも海外で頑張るらしいです。いきなりになっちゃたのは確かに自分勝手だと思うけど、応援してあげてください…」

「違うんです…!海外に行ったって絶対に成功できません。」

「え?」

「さっき書類に書いてあった担当者に、悟られないように電話してみたんです。そしたら事務所のブランドイメージを上げる為に売れてない人を海外に飛ばすって言ってました…。海外でのサポートも全部嘘です!健二は騙されてるんです!」

このとき僕はCAさんの信念に感銘を受けた。

自分の彼氏が売れてないと知ったとき、どんな表情をしたのだろうか。

もしくは既に知っていたのだろうか。

それでも追いかける事をやめないCAさんは、どんな気持ちなんだろうか。気持ちなど無いのかもしれない。

 

「今って健二がどこにいるか知りませんか?」

マンションの入り口で健ちゃんが見せてくれた書類を思い出した。そこに書いてあった日付は、十二月二十五日。

今日だ。

「CAさんって確か宝島空港で働いてますよね?今大丈夫ですか?今日なんです。健ちゃん今日飛ぶ予定だって言ってました。」

「え…。そんな…。今私、……宝島空港にいます。」

 

「健ちゃんを探してください!僕もすぐそっちに行きます!」

僕は電話を切ると隣の新美を睨みつけた。

「行くぞ」

 

会社を新美と一緒に抜け出して、車で空港まで向かう。

健ちゃんは今日海外に行くと言っていたが、詳しい時間帯は知らない。急がないと。時計を見ながら舌打ちをする。秒針が邪魔だ。

「電話の会話からなんとなくは想像できました。健ちゃんって人を探せばいいんですよね。」

「さすが新美。顔はこれね。」

「わかりました。…少し落ち着いたらどうですか?」

「静かにしてろ」

新美は口をジッパーで閉じるような仕草をした。

 

色もわからないまま宝島空港に着くと、二手に別れて健ちゃんを探しだした。

驚いたことに、CAさんの声がアナウンスされている。

『お客様にご連絡申し上げます。大沢健二様、いらっしゃいましたら至急、サービスセンターまでお越し下さいませ。緊急のお知らせがございます。繰り返します。大沢健二様、いらっしゃいましたら至急、サービスセンターまでお越し下さいませ。緊急のお知らせがございます。』

声が少し震えていた。

僕は涙が出そうになった。

 

「いましたか?」

「いや、いないよ…。」

「はぁ…まだ来てないのかもしれませんよ。僕入り口で見張ってます。」

「わかった…。」

 

日差しが傾いてきたが、一向に見つからない。

既に行ってしまったのかもしれない。

アナウンスは流れるのが止まっている。他の職員に止められたのだろう。

諦めるわけにはいかない。

僕は保安検査場の向こう側に忍び込んだ。どうやって忍び込んだのかは覚えていない。

 

搭乗ゲートが多く並んでいて時間を潰す人が多い。先ほどよりも雑音が多く、ただでさえ朦朧としている意識が薄れていく。

その時あるアナウンスが流れた。

『大変お待たせいたしました。ただいまよりお客様のご搭乗を開始します。五番搭乗口よりご搭乗ください。』

大勢の人が一斉に立ち上がり、搭乗口に向かって歩き出した。朦朧としていた僕は、人の波に飲み込まれてしまう。

しかし僕はあるものを見逃さなかった。

闇だ。

あの闇はどこかで見たことがある。

そうだ。健ちゃんが海でスマホを渡した時、左目の下にできたヒビから見た闇だ。

闇を頼りに健ちゃんを確認することしかできない。

僕は必死に手を伸ばした。

 

「あ…待ってくれ…!」

 

服を手で掴もうとした。しかし、気がついたらブザーが鳴り響いていた。響音だ。

「あの、お客様、ご搭乗券はお持ちですか…?」

怯えた顔がこちらをのぞいている。

 

「…あ、すいません…。間違えました…。」

僕は自分が嫌になった。

いなくなった途端に僕の人生は以前のように戻ってしまった。

「後藤さん…。もう夜ですよ。帰りましょう。」

「……………。」

「帰りましょう。」

 

僕は新美を車で会社まで送った。

CAさんになんと言ったらいいんだろう。全て僕のせいだ。なぜ黙ってた?浮かれていたんじゃ無いのか?調子に乗ってたんじゃないのか?

 

僕は見覚えのある海に来た。

沢山の思い出が詰まっている場所だ。

もうすっかり暗くなり波の音が響き渡る。

雪が降ってきた。量は少ないが、解けないで積もっている。

数分間何も言葉を発生できず、顔を下に向く。

足元の雪に水が落ち、落ちた場所に跡がつく。

 

僕は顔を上げて泣くことしかできなかった。

漏れ出した声は波の音や雪によって吸収されて、何も聞こえなかった。

 

この砂浜からは、宝島空港がよく見える。

ここで健ちゃんからCAさんの話を聞いたんだ。

あの時すでに運命は決まっていたのかもしれない。

波の音が響き渡り、足から冷たさが伝わってくる。

海から見える宝島空港の光が精神を照らす。周りがやけに静かだ。

それとも僕の耳が機能していないだけかもしれない。

 

空虚だ。

 

結局は家に帰らなければいけない。十七回までのエレベーターはとても短く感じた。

曲がり角を曲がり、玄関に向かおうとする。足は重く、目的がない。

しかし、玄関の前には驚きを宿すものがあった。

 

「よっ。」

健ちゃんだ。

 

「え?…なんで?なんでここにいるの?」

訳がわからなかった。

 

「いやー、俺アパートの契約切っちゃったからさ〜、帰るとこないんだよね。とりあえず泊まらしてくれない?」

感情がわからない。

 

「え?海外に行ったんじゃなかったの?」

「あー行こうとしたんだけどね。まあ何というか。」

「…。」

 

「やっぱり好きだからさ。」

 

 

 

卒業式の練習を何回かした後、ついに卒業式を迎えた。

はっきり言って何回も練習をしたので、新鮮さはなかった。

校長の長い話と町長の長い話を聞いていたらものすごく眠くなった。

校歌と国家を歌ったところで、眠気が覚めた。

その後、卒業生の名前が一人一人呼ばれていき、舞台で校長から卒業証書をもらった。

卒業式自体は別に目新しさはなかったが、教室に戻ってからは少し楽しいなと思った。

クラスの人気者の親が来て、先生や他の生徒と仲良くしゃべっていた。

カメラで写真を撮っている人もいた。

学校ではしていけないタブーをこの日は破ってもいいんだなと思った。

「健ちゃん。」
「んあ?」
「中学校は別のところに行くってホント?」
「うん。親の仕事の都合でね。」
「そうか。」
「さびしい?はは。」
「…。」
「…。」
「さびしいよ。」
「そうか。」
「うん。」
「でもまた会えるさ。きっと。」
「いつ会えるのさ。」
「それはわかんないけど、きっと会えるって。いや、絶対会いに行くよ。」
「ホント?」
「絶対。」
「そっか。また会えるといいね。」
「だな。」
「うん。」
「なんか空気が寂しくなっちゃったな。まさしく卒業式って感じだ。」
「…。」
「なんか言えよ…。楽しいこと言おうぜ。」
「楽しいことか。健ちゃんと一緒に入れたことが楽しかったな。」
「なんだそれ。気持ちわる。」
「んな。そんなこと言わないでよ。言うの恥ずかしかったんだから。」
「はは。悪かったって。」
「けんちゃん…。あの、」
「じゃあ俺もう帰るわ。ありがとな。友達でいてくれて。もう母ちゃんが迎えに来てんだ。」
「あ、そっか。うん。じゃあね。」
「またな。」
「…。」
「あ、そうだ。後藤。」
「なに?」
「おれも……楽しかったよ…。」

 

つづく

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